【国鉄103系前編】さようなら奈良線103系


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久々にブログ更新します!皆様、こちらの動画はもうご覧になりましたでしょうか?

 

日本の経済成長時、通勤通学時の混雑問題がとても深刻でした。

それまでは古い「旧型国電」と呼ばれる茶色い電車が主流でしたが、この社会問題に対処するために新しい電車が登場したのです。

それが101系電車のアップグレード版で、昭和37年にデビューした103系です。

この電車は山手線など都心の通勤路線で使用され、昭和58年までに3447両も生産されました。

その後、民営化が進み、JR西日本が約900両を引き継ぎましたが、新しい車両の導入に伴い、令和4年までに48両に減少しました。

そして、令和4年3月のダイヤ改正で、奈良線で運用されていたNS407編成とNS409編成の2編成も運行から外れることになりました。今回の動画では、この2編成の走行シーンを収録し、103系通勤形電車の歴史を振り返っています。

また後編では、昭和37年に登場した103系の中でも、その時代の雰囲気を残しているR1編成を追跡。この編成は和田岬線で最後に活躍し、特徴的なスカイブルーの外観がありますよね。よろしければ、動画をチェックしてみてください!

 

 

It has been a while since I updated my blog! Have you all seen this video yet?

During Japan's economic growth, the problem of congestion during commuting to and from work was very serious.

Up until then, the old "old type Kokuden," or brown trains, were the norm, but a new type of train was introduced to address this social problem.

This was the 103 series, an upgraded version of the 101 series train, which debuted in 1962.

These trains were used on the Yamanote Line and other commuter lines in central Tokyo, and as many as 3,447 cars were produced by 1983.

Later, with the privatization of the company, JR West took over about 900 cars, but the number was reduced to 48 by 2022 as new cars were introduced.

In March 2022, two trains, NS407 and NS409, which had been operating on the Nara Line, were removed from service. In this video, the running scenes of these two trains are recorded, and the history of 103 Series commuter trains is reviewed.

The second part of the video traces the R1 formation, which was introduced in 1962 and retains the atmosphere of that era among the 103 Series trains. This formation was the last one to be used on the Wadamisaki Line, and it has a distinctive sky-blue exterior, doesn't it? If you like, you can check out the video!

遅くなりましたが、新年のご挨拶

今日1月20日は季節の暦でいう大寒ですね

ここから立春までの間が1年の中で最も寒い時期といわれていますが

今朝はいつも以上に布団から起き上がる事が出来ませんでした。

これから段々と暖かくなっていくことを願います🙏

 

遅くなりましたが、新年あけましておめでとうございます

昨年の3月にチャンネル登録者が1000人を超え、今では3000人以上の方々に

くまごろうチャンネルをご登録いただけるようになりました。

本当にありがとうございます。

最近ではお褒めのコメントをいただくこともかなり多くなりました。

毎回、嬉しく拝読させていただいております。

 

思うように外へ出ることの出来ない日々が続いておりますが、

1日も早く事態が収束することを願いながら

日々体調管理に努めながら動画を投稿していきたいと思います。

皆様もどうぞお体大事にお過ごしくださいませ。

2021年もよろしくお願いいたします。

 

新作動画のご紹介

Twitterより

 

2020年12月21日に運行を開始した横須賀・総武快速線の新型車両E235系1000番代

デビューまでの軌跡をまとめております。よろしければ是非ご覧ください!

 


【デビューまでの軌跡】E235系1000番代 横須賀・総武快速線 〜甲種輸送から運行開始まで〜

 

 
【100円ショップセリアのブリックコンテナ】 

サブチャンネルでは、昨年末にちょっと話題になっていた

JR貨物承認済の「ブリックコンテナ」の紹介動画をあげています。

今現在、店舗での取り扱いがない可能性もあるのですが

ご興味があれば、是非!

 


JR貨物のコンテナを100円ショップで購入!【セリア/ブリックコンテナ】

 

 

 

【新作動画】33年の眠り 広電156号 被爆電車

Twitterより


2020年11月23日 通称広電こと、広島電鉄では
「ひろでんの日2020 ~レトロだョ、電車大集合~」と称して
長年活躍しているオリジナル車両や京都・大阪などの他都市から移籍した車両が一堂に会する撮影会・貸切ツアーが催されました。

なかでも注目を浴びたのが、1925年(大正14年)製造で、
広島原爆投下時には江波(中区)で被爆した「156号」です。
営業運行は1971年に終えていましたが、87年に特別運行で一度復活。
その後は江波車庫に保管されたままでした。

広島電鉄では、被爆3日後より一部区間の運行を再開し、今日まで広島市民に支えられながら共存してきました。
今年は原爆投下から75年の年で、6月には毎年恒例の「路面電車まつり」も開催される予定でしたが、新型ウィルスの影響により中止。
このような状況下において、街やファンを元気づけたいと企画されたそうです。

156号はこの日のために約1カ月かけて点検し、33年ぶりに広島市内を走り抜けました。
この奇跡的な1日を動画に収めました。ご興味のある方は是非ご覧ください!



【33年の眠り】広電156号 被爆電車


広島電鉄 156号

大正14年梅鉢鐵工所で製造された150型の1両。75年前のあの日、江波付近で被爆した。8日後に運転を再開した広電、この車両も復旧し、昭和46年まで活躍、引退後は静態保存されていた。昭和62年に原爆の日を記念し、復籍し特別運行された。しかし、翌年以降運用されることはなく、江波車庫で大切に保存されてきた。

江波車庫で33年間眠ってきた156号であったが、令和2年10月千田車庫にて復元修理が行われ、本線走行可能となった。そして、広電開業日である11月23日、レトロ電車イベントの会場でその姿が披露された。また、イベント前後には、江波車庫から会場の千田車庫まで回送された。もう、走る姿を見ることができないかと思われていただけに、当日は多くのファンで賑わった。

奇跡の復活を遂げた広電156号、
”もうひとつの被爆電車”として、今後の活躍を期待したい。

自粛解除になって【新作動画のお知らせ】

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こんにちは、YouTubeで鉄道動画を配信してますKUMAGOROU CHANNEL です。

日本各地、また海外の列車の走行シーンを音楽にのせて、プロモーションビデオのような映像を配信しています。

 

コロナウィルスの東京都内の感染者も一時少なくなり、このまま緩やかに減っていくのではと思っていましたが、過去最高の感染者数を記録するところも出てきていて、いまだ予断許さない状況が続いています。

 

5月25日に緊急事態宣言が解除された後、密になる場所は避けて、少しずつですが、撮影を再開しています。動画も頻繁に更新出来たらなとは思っていますが、撮影できるものも限られており、なかなか新しい動画をすぐには更新できない状況でもあります💧

更新頻度はゆるめですが、引き続き動画を見ていただけましたら幸いです。

 

先日、約2カ月ぶりに新しい動画をアップしました!


【甲種輸送密着!】ロイヤルエクスプレス 北海道へ(伊豆急行2100系)

 

伊豆急行の豪華レストラン列車2100系「THE ROYAL EXPRESS」(ザロイヤルエクスプレス)、2020年8月28日より「北海道クルーズトレイン」が運転されるにあたって、伊豆高原から北海道の札幌(手稲)まで輸送されました。1300Km、約72時間をかけての大移動。あのロイヤルブルーの車体が北海道の地に到達した姿を見たときは感慨深いものがりました。

 

 

雨の日の撮影

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紫陽花も色づき、雨が滴るような日も続くようになりました。

本格的な梅雨の季節が到来したのでしょうか☔️

皆さんは雨の日の撮影はどうされていますか?

雨が降っていると、傘をささなくてはいけなかったり、カメラが濡れるというリスクがあったり、また、天候の悪さで列車が遅れたりしてしまうと、雨の中長時間待たなくてはいけないですよね。

なので、雨の日の撮影は極力しないという方もいらっしゃるのではないでしょうか。

きっと、そのほうが賢明なご判断かと思います。

雨の日の撮影ですが、天気が悪くても出かけてしまう事が多いです。

私(妻)はどちらかというと心配性とめんどくさがりな所があるので、天気が悪いと「今日は無理して行かなくても‥」と

家にいる事を提案する事があるのですが、夫は撮ると決めた列車に関しては、余程の事が無い限り撮りに行きます。

車で行くことが多いですが、雨風の強い日などは、車外に出る事も厳しいので、そのままドライブして帰るという事もあります(笑)

雨の日の撮影では、合羽とタオルを持っていきます。

カメラを固定して長時間撮影しなくてはいけないので、濡れるのを防ぐためにタオルを掛けているのですが、1枚のタオルだとすぐに濡れてしまうので、1度に何度も撮影する場合はタオルの替えが欠かせません。

乾きの早いタオルを買えばよいのですが、何か他に効率的にカメラを保護できる方法は無いだろうかと考えています。

 

 

https://www.instagram.com/p/B_JPA9OpRGA/

ミャンマーで活躍するキハ40も再生回数がまもなく5万回!

いつも動画を見ていただき、ありがとうございます😊

 

 

 

 

【新作動画】さようなら炭坑電車


【大正6年製】さようなら炭鉱電車 大牟田貨物 三井化学専用線 2020年5月廃止

新しい動画を公開しています!

今回は2020年5月7日に廃止となった福岡県大牟田市にある三井化学専用線、炭坑電車です。

三井化学専用線は、鹿児島本線大牟田駅の北にある仮屋川操車場と宮浦駅を結び、黒崎駅からの硝酸、南延岡駅からの液体塩素を輸送していました。しかし、硝酸の製造元であった三菱ケミカルが製品の製造を中止し、硝酸の入手方法が変更となった為、鉄道輸送が終了。同時に炭坑電車の役目も終わりを迎えることになりました。

 

〔炭坑電車と三井化学専用線

日本有数の採掘地であった熊本県荒尾市にと三池炭鉱いう採掘場がありました。採掘された石炭を輸送する為、建設された鉄道が『三池鉄道』です。

全盛期には150kmにおよび、地元では「炭坑電車」と呼ばれ親しまれていました。しかし時代は進み、平成9年にはエネルギー革命により石炭需要が低下、採掘作業も終了することになり、あわせて三池鉄道も廃止となります。

しかしながら、宮浦駅〜旭町駅の旭町支線1.8kmについては、三井化学に譲渡され、材料搬入用の専用線として生き残ることになりました。これが宮浦駅〜仮屋川操車場の三井化学専用線です。

この専用線は、路線だけでなく、使用されている機関車も三井鉄道時代からのものでした。本線で使用する45t機18号機、19号機、入換用の20t機の9号機、11号機、12号機の5両です。

18号機、19号機は、昭和11年製の凸型デキ。かつて全国の地方私鉄などに導入された戦前型東芝製のデキで、伊豆箱根鉄道にも同型機が2両存在していますが、これらは車両輸送用で、定期的に運行されているものではなく、毎日定期的に運行されていることは非常に貴重な存在でした。

20t機については、歴史はさらに遡ります。9号機は大正4年、11号機、12号機は大正6年の製造で、三井鉄道が明治42年に電化された後、輸入されたドイツシーメンス社製の20t機1号機の製造を模倣、コピーしたものを国内で製造して出来たものでした。

これら車両は、明治44年に導入された1号機同様のデザインをしており、電気機関車聡明期の姿を現代に伝えるシンボル的存在だったように思われます。

仮屋川操車場から宮浦駅までの1.8kmの区間にも、昔の鉄道風景が残っていました。

100年以上の歴史を持ち、日本の近代化を支え続けてきた鉄道と、明治から戦前にかけて製造された旧型電気機関車が、かつての鉄道風景の中を走る、令和の時代に残された”奇跡の鉄道”それが、三井化学専用線の炭坑電車なのです。

今回の廃止を受け、三井化学株式会社ではイベントも検討されているようです。

 

今回の撮影の際に訪れた「万田坑

現在の事態が収束し、自由に行き来が出来るようになった際には是非行ってほしい!

とおススメしたい場所です

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万田坑は日本最大規模の2つの竪坑を持つ、三池炭鉱の中心的存在でした。

ヨーロッパやアメリカ製の機械を取り入れ、当時としては最新鋭の技術を集結させています。1900年代前半に採炭は最盛期を迎え、日本の産業振興を支え続けてきましたが、後半になると採炭効率も低下。採炭は1951年に終了し、1997年に閉山しました。

その後、2015年7月、荒尾市大牟田市に数多く残る他の近代産業遺産ともに、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として世界遺産へ登録されています。

 

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第二竪坑坑口
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第二竪坑巻揚機室
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見学の際に被るヘルメットには万田坑のデザインが施されています

 

もう一つの炭鉱遺構近くで、まさか⁉のものが

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万田坑のある熊本県荒尾市に隣接する福岡県大牟田市にも、「宮原抗」という三池炭鉱最盛時を支えた竪坑が残されています。

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この宮原抗の近くに、なんと三池炭鉱専用鉄道で活躍した電気機関車?がありました

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ドイツ・シーメンス社製 1号電気機関車 を再現したトイレです

f:id:Kumagorou_tetsudo:20200609142841j:plainちなみに機関車の上についているパンタグラフ103系1509番電車に設置されていたものだそうで、筑肥線西唐津姪浜・天神方面を結んで運行されていました。

 

 

 

宮原坑跡の東側には三池炭鉱専用鉄道敷跡も残っており、当時の様子を垣間見ることが出来ます

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三池炭鉱遺産 万田坑と宮原坑 高木尚雄/著 出版社名 弦書房